《玉ねぎの呟き》日本文化の在り方

日本の文化についてピーター・ドラッカーは、『全ての文明、あるいは国の中で日本だけは、目よりも、心で接することによって理解できる国である。』、また『日本の強みは、組織の構成員として、一種の家族意識を有することにある』と評しています。
これは、日本という共同体が独特の野生の思考と欧米の現代科学的思考で作られた『和魂洋才』の結果を歴史的合意としていることを感じたからでしょう。日本人は、この歴史的合意のもとで相互の権利を認め合った共同体で生きているのです。共同体で相互に認め合う権利を保証するための規則が法律であり、それは共同体の構成員に平等に担保されてなければならないのです。
しかし今日、異邦人の犯罪に対する司法の判断に違和感を覚える人は少なくないことでしょう。例えば、異邦人が警察官に暴行しても公務執行妨害罪には問われないし、犯罪を犯しても氏名、国籍は明らかにされない。不起訴処分にしても理由は示されない。犯罪者や不法入国者や違法に在留している者が送還されず居座り続け、逆に訴訟を起こす者もいる。などなど。司法、立法、行政のすべてが麻痺状態です。これはグローバルリズムを推進する人達の発する情報に乗せられて移民を多く受け入れた結果なのです。
要は、この歴史的合意『和魂』を共有しない人、できない人を共同体の一員にしてはいけなかったです。

《玉ねぎの呟き》グローバル化と情報

真にグローバル化をなし得たものは、唯一つ「情報」のみです。
これは認めます。では何故「情報」はグローバル化できたのかを考えて見ました。「情報」の特異性は、「国、人、物」とは異なり「情報には実体がない」のです。言い換えると、「共同体の法律が共同体と紐づいている」ようなことが情報にはないのです。情報には紐づく実体がありません。このことがグローバル化できた訳なのです。ですから、「情報」は単なるお話で消失する運命にあります。「情報」が生き残るためには「実体」と結合しなければなりません。
そこで「情報」は粘菌のようにあらゆる方向に触手をのばして「実体」を捉えて紐づこうとします。「宗教家、マスコミ、政治家、活動家など色々な人に紐づこうとします。そして「実体」を獲得した「情報」は、例えば、政治家は法を作り、裁判官は裁き、行政官僚を働かせるのです。このグローバル化した情報のために、情報を吟味し、選択し、加工して採り入れる『和魂洋才』が機能不全に至った状態に、今の日本は陥っているのです。